エネルギーの量的不足が経済成長の可能性を制約するということを、1970年代の2次にわたる石油ショックで世界も日本も劇的に体験しました。また、エネルギー資源の価格上昇が他の一切の商品の価格を大きく変化させ、それに伴って富の分配にも大変化が生じることも体験しました。それだけにエネルギー確保は必要だ、原子力でもしかたないや、ないよりましだと、考える人が出てきやすいようです。しかし、第1に、人工的でない自然エネルギーの利用をもっと考えるべきです。エアコンを使わなくても涼しい街づくり、家づくりがありえます。もちろん自然エネルギーの分散的で(大きすぎたり小さすぎたり)間欠的(連続的でない)という欠点を補うために人工的エネルギーが必要であることは明らかです。でも、第2に、光がほしいときには光をできるだけ直接に入手する、所要の温度の熱が欲しいときには、それができるだけ直接に得られるようにすることが必要です。つまり、最終需要に合致するエネルギーの形態にいたる迂回路はできるだけ短くすることが、省エネルギーのためには必要です。第3に、エネルギー生産技術が、原子力発電のように安全や管理の必要から秘密になればなるほど、人々の感性や理解から遠いものになる。技術が秘儀になるにつれて、人は生産の問題を忘れやすく、消費が浪費に転化しやすくなります。省エネに反します。
89年度をみても、地価の上昇率(7.6%)に比べて、消費者物価指数(2.9%)の上がりかたは緩やかでした。石油ショックのときも、バブルの発生直前も、日本はカネ余りの状態にありました。インフレの火種は同じようにあったわけですが、石油ショックのときはモノの値段も資産の価格も上昇したのに、バブルのときは資産価格の上昇が際立っていました。バブルの時代に、モノの価格が相対的に安定していたのは設備投資ブームで供給能力が大幅に高まり、景気は拡大していたものの、過熱状態にはなっていなかったからです。しかし、地価や株価の異常な高騰を放置すれば、やがてインフレ心理が蔓延し、フローインフレを誘発します。その証拠に、経済の動きに敏感な卸売物価指数は、85年度から88年度まで4年間も道続して前年度比マイナスだったのに、89年度には一転して3.5%も上昇しました。日銀が第1次の公定歩合引き上げに踏み切ったのは、89年5月でした。それでも手遅れ気味でしたが、金利引き上げがさらに遅かったら、フローインフレになっていたでしょう。
イギリスが原発を見直し始めたのは、温室効果ガス排出量を2050年までに1990年との比較で80%削減するという目標達成のために、原発が不可欠だと考えているからだ。この世界的な原発建設ラッシュのなかで、日本企業が注目を集めている。たとえば、アメリカは30年間も新設をしなかったために、自国に設備を整えられるメーカーがない。原発の建設だけでなく、操作の技術、点検や管理などの業務すべてができる優秀な企業はどこか。そう考えたときに、三菱重工、日立製作所、東芝などの日本企業の名があがったといわれる。じっさい、三菱重工、日立製作所がそれぞれテキサス州からすでに原発建設を受注している。そもそも日本はアメリカ、フランスに次ぐ世界第3位の原発保有国である。1966年、茨城県東海村に最初の原発が建設されてからというもの、次々とその数を増やし、現在は55基を数えるまでになっている。